村田諒太初防衛なるか!比嘉大悟KO日本新でるか!同時開催で注目

2018年4月15日(日)横浜アリーナにて初防衛戦に挑みます。同時に連続KO日本タイ記録の比嘉大吾も試合があります。ボクシングファンじゃなくとも注目の1日になりそうですね。村田選手と比嘉大悟選手のプロフィールを載せてみました。

 

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村田諒太プロフィール

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  • 南京都高等学校ボクシング部で指導を受けた同校監督の武元前川を恩師として挙げている。2010年2月に武元は急死したが、村田は「先生の夢は五輪選手を育てたい、だった」と話している。
  • 2008年北京五輪出場を逃しボクシング界から引退する。東洋大学職員兼ボクシング部コーチとして大学に勤務し後進の指導を担当していたが、2009年2月 東洋大学ボクシング部の元部員が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、東洋大学ボクシング部は活動自粛となり、関東大学リーグ1部から3部へ降格処分が下される。村田はコーチであったのに不祥事を止められなかった自戒の念と、全日本選手権で優勝することが出来れば東洋大学ボクシング部の名誉回復につながるのではと判断し現役に復帰した。
  • 2010年5月、東洋大学に勤務する4歳年上の女性と結婚。翌年5月に長男、2014年5月に長女が誕生。ロンドンオリンピック準々決勝直前には携帯電話で日本にいる長男の映像を見て気持ちを落ち着かせた。
  • ロンドンオリンピック準々決勝に出発する前、前日にメダル獲得を確定させた清水聡からは「村田は変に『頑張れよ』という方が緊張するだろうから」と考えて「負けろよ」とエールを送られた。村田のほうでも清水と互いにいいライバル関係にあることを認めた上で、後に東日本大震災の被災地を勇気づけるために訪問したいと語った際に公開スパーリングの計画に話が及ぶと、「清水とやるなら、ボコボコにしてやりますよ」と話している。
  • アマチュアボクシングに誇りを持っているため「アマチュア」という言葉を嫌い、その理由を「プロに負ける要素がないから」と説明している。プロボクサーとのスパーリングで実際には村田が相手を翻弄していても「引けを取らない」などとマスメディアが報じることも好まない。ロンドンオリンピックを控えた2012年中ごろには「世界チャンピオンが今、プロで何人もいますけど、僕らの世界ではそうはいかないですよ」と話している。
  • 好きな選手は、フェリックス・トリニダード。
  • 憧れのアスリートとして魔裟斗と室伏広治をあげている。また「喧嘩をしたら負けると思った」人物として室伏広治と朝青龍の二人を挙げている。村田が18歳の頃から魔裟斗がパンチのみのボクシングスパーリングをする際にスパーリング・パートナーとして招聘され拳を交えている。最初にスパーリングした当時はボクシングがK-1に人気を奪われていた時期ということもあり、「蹴りが無いパンチだけのスパーリングでは絶対に負けたくない」と意気込んでいたが当時既にK-1世界王者に輝いていた魔裟斗にはさすがにかなわず劣勢だった。しかし、ゴング格闘技で両者が対談した際に魔裟斗は「村田くんの素質の良さは当時から感じていた」と語っている。
  • アマ時代の一時期ウェイトトレーニングを取り入れていたが、スピードが鈍り、故障も増えたことから現在はやっていない。
  • 試合前、試合後は飲まないが、それ以外の日には飲酒をすることがある。
  • 勝負曲はSuperflyの「Beep!!」である。
  • CTスキャン撮影の際、医者に「頭蓋骨が厚いね。一般の人より1.5倍くらい厚い」と言われたことがある。
  • 2013年9月、女性向けファッションショー「神戸コレクション」にゲストモデルとして出演。
  • 2017年5月、WBA世界ミドル級王座決定戦を前に岡山県笠岡市大島中に在住する父方の祖父母が笠岡市の小林嘉文市長を表敬訪問し、応援を依頼。市民有志が「笠岡から村田諒太選手を応援する会」を結成した。

 

比嘉大吾プロフィール

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沖縄県浦添市出身で、浦添市立仲西中学校、沖縄県立宮古工業高等学校を卒業した。父親は少年野球のコーチであることから小学校、中学校と野球に熱中し、甲子園出場を目指して高校でも野球を継続するつもりが、2011年2月11日に井岡一翔がオーレイドン・シスサマーチャイを5回1分7秒TKO勝ちで破り世界王座を獲得したWBC世界ミニマム級タイトルマッチの中継を琉球放送で観戦し、のちに放送された、沖縄出身で元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高が強豪を倒す試合に心を奪われ、「ボクシングをやろう」と決意した。父親に相談すると元プロボクサーで沖縄県立宮古工業高等学校ボクシング部監督の知念健次を紹介され、知念の下でボクシングを学ぶべく宮古島へ渡り、沖縄県立宮古工業高等学校に入学した。

宮古工業高に入ると知念から「とにかく攻める」スタイルを伝授された[4]。高校時代は3年次の2013年第68回国民体育大会(東京都)で少年の部フライ級でベスト8が目立った成績であった。

高校卒業後はオリンピック日本代表選手を目指して大学進学を希望していたが、高校ボクシング部の顧問が具志堅用高が経営する白井・具志堅スポーツジムの宮古島応援会会長でもあったため[5]具志堅に比嘉の名が伝わり、国体終了後に比嘉をスカウトするべく具志堅自身が宮古島へ訪問するなどしたことからプロ入りを決意し、2014年1月20日に白井・具志堅ジムへ入門することを発表した[3][6]

プロ転向後の2014年6月17日に後楽園ホールで、タイのセーンゲン・サックナロンを相手に51.5kg契約4回戦を行い、初回50秒KO勝ちを収めデビュー戦を白星で飾った。その後5戦して全てKO勝ちで6連勝、7戦目は2015年7月24日にバンコクでWBC世界フライ級ユース王座を懸けてコンファー・CPフレッシュマートと対戦し、7回1分2秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[8]

WBC世界フライ級ユース王座を2度防衛したのちに返上し、2016年7月2日に後楽園ホールでOPBF東洋太平洋フライ級王者のアーデン・ディアレと対戦し、4回2分39秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した[9]。2016年11月5日にフェリペ・カグブコブ・ジュニアと対戦し、4回2分55秒KO勝ちを収めOPBF王座の初防衛に成功した。

2017年2月4日に後楽園ホールでディオネル・ディオコスとノンタイトル10回戦を戦い、4回2分29秒TKO勝ちを収めた。

2017年2月6日にWBCは最新ランキングを発表し、比嘉をWBC世界フライ級3位にランクインした。

2017年3月12日にWBCは最新ランキングを発表し、比嘉をWBC世界フライ級1位にランクインした。

2017年5月20日に有明コロシアムでWBC世界フライ級王者のフアン・エルナンデスと王座獲得を目指したが、エルナンデスが前日計量で体重超過して王座を剥奪され、比嘉が勝てば新王者となりエルナンデスが勝てば王座が空位となる条件で試合は行われ、比嘉が6回2分58秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

2017年6月8日にWBCは最新ランキングを発表し、比嘉をWBC世界フライ級王者としてランクインするとともに上述のエルナンデス戦の勝利を評価し、WBCの2017年6月度の月間優秀選手賞に選出した。

2017年10月22日に両国国技館でWBC世界フライ級5位のトマ・マソンと対戦し、デビュー戦から14連続KO勝ちとなる7回1分10秒TKO勝ちを収めWBC世界フライ級王座の初防衛に成功した。

2017年11月9日にWBCは最新ランキングを発表し、上述のマソン戦の勝利を評価し比嘉をWBCの2017年11月度の月間優秀選手賞に選出した。

2018年2月4日に沖縄県立武道館で元世界2階級制覇王者でWBC世界フライ級9位のモイセス・フェンテスと対戦し、初回2分32秒KO勝ちを収めWBC世界フライ級王座の2度目の防衛に成功した。

2018年2月12日にWBCは最新ランキングを発表し、上述のフェンテス戦の勝利を評価し比嘉をWBCの2018年2月度の月間優秀選手賞に選出した。

沖縄での防衛戦から僅か2ヶ月後の4月15日、横浜アリーナで2位のクリストファー・ロサレス(ニカラグア)を迎えて3度目の王座防衛戦を行う予定である

お互いの関係

 テレビ中継でゲスト解説を行ったWBA世界ミドル級王者・村田諒太(32)=帝拳=は、左ボディーから左アッパーをヒットさせ、すかさず右ボディをたたき込んでのTKO勝利に「ウォーミングアップでもやってましたよね。まったく同じコンビネーションやってましたね。あれを当てることがすごいなと。練習でやったことなんて、まず出ない。それを出すっていうのが、すごいと思いますね」と関心しきり。褒められた比嘉は、「村田選手は、ずっとボクシングの先輩として素晴らしい試合、お手本となる試合をいっぱい見せていただいているので、それは言われてうれしいことです」と恐縮しながらも、喜んでいた。

 

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